工藤 俊作
太平洋戦争当時、海軍中佐の工藤 俊作は、駆逐艦「雷」(いかづち)の艦長でした。
1942年3月1日のスラバヤ沖海戦では英海軍の重巡洋艦「エンカウンター」を撃沈します。
翌3月2日、航行中の「雷」は漂流者を発見。
彼らは前日の掃討戦で沈没した「エンカウンター」の乗組員でした。
乗組員たちは海中に放り出され、ボートや木材にしがみつき海を漂流していました。
艦長の工藤は救難信号の旗を上げ、彼らの救助を指示しました。
敵潜水艦などからの攻撃を受ける危険を冒しながらも数時間にわたり行われた救護活動の結果、
「雷」は422名の救助に成功しました。
工藤は救助した英士官に英語で、「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。」
とスピーチしたといわれています。
上記敵兵救出の事実は、戦時中の国民世論の反発を考慮して公表されませんでした。
工藤自身もこのことを親族にも語らなかったといいます。
助けられた英海軍士官のうちの1人であったサムエル・フォール元海軍中尉の来日により、遺族はこの逸話を知ることになります。
私の住む埼玉県川口市に、「薬林寺」という寺院がございます。
決して有名な寺院ではございませんが、
お参りすると、境内はいつも整然としており、
献花やお香の香りがたえません。
工藤は、ここに眠っています。